昭和五十六年七月十三日 朝の御理解


御理解第三十六節
日本国中あらゆる神を、みな信心するというが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたらひとつじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。


 一心と定める。しかもこの方一心と定める。為にはこの方といわれる教祖金光大神が天地の親神様からのお頼みを受けられて開かれた道、金光教の信心というものが、どんなにすばらしいものか。どんなに又有り難い尊い物かということをね、分からないと一心が定めかねる。一心に定めておるようであっても、他にこげなよかこつがあるばのちいうたらもう、ふうっとまいってしまう。といったような人達がありますね。
 私は昨日まあ、感じたことがございますが、熊本から緒方さん達が親子三人で参って参りました。鳥栖の上野さんの二番目の娘さんが嫁っておるところなんです。今熊本におります。結婚しましたけれども子供がでけない。神様に一心にお縋りをして、まあおかげを頂いて一男一女のまあおかげを頂いております。も嘘の息子が中学何年、三年でしょう、昨日参って参りましたが、お父さんよりも大きいくらいなんです。
 所が最近その晃君といいますが、妙ないうならば信心に懲りだした。というのはある時に道であった大学生から、「君は神やら仏やらあることを信ずるか」と聞かれた。ぼくは信心、家庭は両親が信心をしておりますから信じますと。そんならいよいよその神様を仏様をはっきり分からせて頂く会合があっておるから、君も来たまえ。いうので誘われて行くようになった。もう若い者ばっかりのもう熱気溢れる何か宗教じゃないけれども、やっぱり神仏をいう何か話し合いの会合に誘われた。もうそれからというものは、熱心にその会に行くようになった。初めの間は心を神様に仏様にというのだからいわなかったけれども、あんまり子供が懲りだしたもので、中学三年生。だから両親でその息子に懇々と話したという話をここでお届けするんですよ。晃君家はれ、金光教の信心を頂いて、お父さんもお母さんも本当にどうにも出けないところを、今日こうしておかげを受けておるのも、合楽のおかげである。お爺ちゃんもお婆ちゃんも合楽によって助かられてお母さんの兄弟、全部がおかげを頂いて、合楽教会とは、その兄さんになるのが、あの椛目の養子に来ております勝美先生です。ですから合楽教会とは親戚にまでなる、そのいうならばお家なんだと、信心することはいいけれども、お前が金光教の信心の有り難さ、素晴らしさということをしらんから、そして迷わなきゃならんのだと云うて、懇々と言い聞かせて、昨日は連れて参って来て、そしてその合楽のに正式に入会するというところまで、息子と納得させて昨日連れて来て、昨日あちらに入会のおかげを頂いたというのです。ね。
 それでどういうような事を云っておるかと云うとね、とにかく仏教キリスト教の事から、話しているのですね。それは成る程、教えはどこいっても変わらんようにもあるし、素晴らしいようにもあるし、ただ奇跡が起こると云うことによって、神や仏を知るという手だてもあるけれどもね、そういう宗教が本当の宗教という事じゃない。親先生がいつも云われる宗教とは、読んで字のごとくね、宇宙の宗という字は宇宙のウかんむりに示すと書いてあるように、天地が示して下さる事を教えるという宗教でなからなければ、ほんなもんじゃないぞと。お前達は俺どんも詳しくはしらんけれども、お釈迦様はね、云うならば人間の知恵というか、仏教哲学というくらいですから、云うなら、思索の中から生まれた宗教というそうな、キリスト教というのは、キリストがいわゆる奇跡を現して広めて云ったという宗教だそうだとね。その宗教例えばキリスト教が何十年の間の布教活動の中には、もう始めから今日まで血生臭い、云うなら戦争がずうっと戦い続けてきておる事実からみても、ちょっとおかしいじゃないかと、そのころ長崎に何とか法皇というのがみえたが、みえて長崎にみえたが五百人の者がお話を聞きながら倒れたと云うたような事があるのもちょっとおかしいじゃないかとね、仏教の信心を本気で極めようとすると、精進をしなければならない。ね、本当に極めようとすると妻帯すらも許されない。生臭けはたべられん。ね、仏教で云うところの五戒という教えはそりゃ読んだこともないけれども、大変に人間が人間がとてもそれに取り組むということは、至難な云うならば戒律というものがある、仏教でも十戒という戒律がある。その十戒というのは、それこそ普通の人間でもとても行ずる事の出来ないような険しい、云うなら戒律に縛られて、そして結果はどうかと云うことになる。
 果たして仏教で助かる云うならキリストで助かっておると云う人達は無い、それをもっともっと詳しくよう、そんなにあんただん御理解を頂いとったのち私が思うくらいに説明してるです。ね。そして最後に教祖の神様が云うなら天地の親神様から受けられた教えを説いておられるのが金光教であり、それをいよいよ今の世の中、私どんのごたる頭の悪かもんでんわかるごと説き明かして下さるのが合楽理念だと、お前をそげん信心に一生懸命ならごたるなら合楽理念の勉強を本気でしなさいち、こりゃ家の家代々からの金光教の信心だけではない。行為薄刃らしい教えを持ち、こういう素晴らしい教えを持ち、こういう素晴らしいおかげの受けられる信心に縁を頂きながら、今更何々様でもなかろうがとお前が本気で信心さして、それもやはりぼくにもいろいろ悩みがある。やはり学校での何ともいうでしょうかね、その人間関係ですね。もう本当にいろいろなその金を取り上げられたり、まあ集団でリンチを受けたりといったような事が学校であるそうです。そういう中にあって、いわば何かを求めておるときに、その大学生に誘われたもんですから、そん大学生の若い者達がです、そう云うときにゃ、まあ俺達がまあ不良なんでも導いて、そのよい信心にしてやると云ったような事がね、やっぱ魅力だったらしいんです。
 そして昨日も合楽の信心の又有り難い事、おかげを受けた事を子供に云うて、子供が本当に心から改めて合点した。おかげで昨日、云うなら本気でに入って本気で合楽理念の勉強をしようと云うて、昨日は参って参りました。所が昨日たまたま吉井の熊谷さんがあのここの駐車場でこういう物を拾いましたとこう云うんです。しかも親先生のこう何かサインのごたるとばしてあるから、親先生のお書きになったのじゃなかろうと思うて、こうやってもってきましたと。そりゃ墨書きでこう云うような物を拾ってきとんなさいます。これはあるの幹部がの子供達の一人に、まあくずくずしたり、そりこそ、迷いが起こったという子供に対するその手紙を出しておるのです。その手紙の内容がもう素晴らしいので、私もが合楽の場合は、合楽のでもこういう素晴らしい事が云えれる。
 又こういうてその同士達が間違うておるときには、そのまあ注意をしたり、進言したり、そしてよい方へ導こうとしておるというわけですから、これを読んで聞かせました、昨日。それからいよいよまあ云うならば、感心してもう本当に腹が決まった。子供ながらも決まったというような事でしたがね、これはのあるリーダーが最後に書いておるところを「問題があればあるほど、それは大きくなってくれよという神様の願いがかかっていることを忘れてはいかんぞ」と書いてあります。どうですか。のリーダーが書とるとです。文句はまだ素晴らしい合楽理念を見事に捉えて、手紙に書いとります。
 一番最後にいろんなの中にも人間関係があって辞めようごたるというとかおるわけです。けども問題があればあるほど、大きければ大きいほど、それはお前に力を与えて下さろうとする、お前を大きくして下さろうとする神様の働きであることを忘れてはならんぞ。とまあ決めつけておる手紙であります。ね。これ程云うなら合楽の信心を捉えておるということですね、合楽理念を。
 だからただ、合楽のおかげを受けるから、おかげを受けるからで云うならば、合楽通いというのじゃなくて、今緒方さんが子供に説明したような説明が皆さん果たして出来るでしょうか。又そのように感じておるでしょうか。信じておるでしょうか。もう一辺今日と云うて、今日の御理解ですね、私しゃ合楽に一心と言い寄るけれども、なら子供が迷うたというときに、そのように、力説というか、自分の体験を通して子供にでも、云うて聞かせるだけの内容が身についていきよるでしょうか。考えてみなければいけないと思うですね。      どうぞ